2012年04月01日
権現山の秘密
野母の人たちのなじみの深い権現山、長い野母の歴史の中で
ちょっとだけ権現山に触れてみましょう。
日本最西南端に位置する為江戸時代以前より海外より入港してくる貿易船などを見張る
「遠見番所」が置かれていました。
それに加え実は、権現山は活火山だという事をご存知でしょうか?
1638年(寛永15)島原の乱幕府軍総大将松平信綱が島原からの帰り
権現山山頂から上がる噴煙を見てヒントを得、
ここに外国船の入港に関する警報機関を設置させました。
権現山遠見番所から高島、深堀を経て長崎奉行所へ伝わる仕組みでした。
火口に石栓をして外国船発見のとき栓を抜き、のろしをあげていました。
しかし、火山は自然のもの、時としてマグマの圧力上昇で
噴煙が漏れ出していました。
そして、とうとう何も来ていないときにのろしを上げてしまいました。
当時としては最新の監視システムが誤作動を起こしたので
大変な騒動となり、1859年(安政6)廃止となりました。
来亀から見る権現山、深く刻まれた谷は溶岩が海へ流れるときに
削られた跡です。やはり火山は地球の息吹、ものすごいパワーを感じます。
現在は年数回、小規模な爆発があるものの安定しています。
山頂から何かを見張る行為は今も残っていて
ボラの群れを見張る「ボラ山」、クジラを見張る「クジラ山」などがあります。
最近、ツイッター、フェイスブックを始めました。それに伴い初めて当ブログをごらんになる方もいらっしゃるかと思います。本日の状況など踏まえた上でご判断されますようよろしくお願い申し上げます。
投稿者 miura : 2012年04月01日 04:47
コメント
大変参考になりました。愚生もフェイスブックを始めています。
投稿者 miura shigeyuki : 2012年04月01日 16:35
権現山が活火山???
高校から故郷脇岬を離れ、自宅は京都、現在は四日市コンビナートに単身赴任3年目!のたぶん同級生です!最低年一で帰省してますが、帰る度に空き家や空き地の拡大に過疎化が進んでる!と実感しています。
この夏も大学生の長男連れて帰省を考えてます。
懐かしく思わず投稿してしまいました!
投稿者 タッチャン : 2012年04月01日 20:46
いやあ、久々です。うまいねえ~。もっともらしいです。
望楼と呼んでいて、進駐軍に「はーろー、ちゅいんがむ!」とねだっていた頃を思い出しました。還暦目前。先日の空気が入ったカンボコば食いたかとです。
投稿者 小立神 : 2012年04月01日 23:55
やっぱり船長の「4月1日」は、良いです。
中央構造線の別府~阿蘇~甑島ラインの上にある。
国東半島(両子山)~島原半島(雲仙普賢岳)~野母半島(権現山)は、同一線上に有ります。
さて、「クジラ山」ですが、明治34年(1901)「国土地理院旧版地図」なるものでは「クジラ山」は、単独の島であり、赤瀬の浜(今の温泉の所)は、港と外海をつなぐ海路になってたようです。
また、課題が増えました。
元気に、安全操業、がんばって下さい。
投稿者 大立神 : 2012年04月02日 16:06
お久しぶりです!!
コメント投稿が復活したのですね!!
コメントを書けない時も、いつも、いつも
拝見しておりました。
水仙山の階段のオレンジの塗装…、
最初に拝見した時は周囲の景色の美しさとの
ミスマッチに仰天しました。
アジ物語…、某かまぼこ店のかまぼこを
思い出しました。
権現山…、野母崎を訪問した際には非常に高い確率で
訪問します。権現山からの開放的な景色は野母半島の
先端であることを強く感じる、ナイス・ビューです。
そんな権現山が火山だったとは…。
さてさて、ここ1年あまり野母崎を訪問していません。
要は金欠なだけ(笑)であります。
博多くらいの距離なら月1ペースでは寄らせて頂くことが
出来るのに…。
でも今年は顔を見せますので、忘れないでくださいね(笑。
投稿者 観音寺 : 2012年04月03日 16:37